会津での戦い [関連書籍・映像メモ]
おさらい編だけ記事を分けてみました。
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ちょっとここで、戊辰戦争の会津での戦いについて、持っていった本を見ながら”おさらい”してみます。
◆4月24日(新暦5月16日) 土方歳三、今市で土方勇太郎と面談。
宇都宮の城攻めで、逃げ出そうとする味方の兵士を斬ってしまった。不憫だ、墓を建ててくれ、と金子を託しつつ涙目で訴えたというエピソードがこの日。
新選組は、昼過ぎに出発し『会津西街道』を5日間かけて会津若松入り。
土方さんは、既に宇都宮の戦いで、どちらかの足の足指または足の甲に怪我を負っています。
島田さんに背負われて、会津入りしたという小説もありましたね。
◆4月25日(新暦5月17日) 近藤勇、板橋で処刑。
27日まで板橋に首が晒され。28日に京都へ送られ、新暦5月31日まで、京都三条河原で晒される。三条河原というのは、池田屋の目と鼻の先先なんですよね…。
この間、土方さんたちは、敗戦後、ひたすら会津への道程を歩いていたことになりますね。なんだか離れているとは思えないほど状況がリンクしているような…。
◆4月29日(新暦5月21日) 土方歳三、会津入り。七日町の清水屋旅館へ。
この日から数日のうちに、幕臣・望月光蔵が同宿にあり、面会するも土方さんに枕を投げつけたれた(と自分の日記に書いている)のですね。一緒に戦おうといわれたが自分は文官なので、と答えたら無礼な態度をとられたそうですが…。怪我で戦線を離脱したうえに、こんな日付の出来事では、苛立たしさを抑えきれずにイライラを爆発させても仕方がないですね…。
このあと、しばらく土方さんは公の記録から姿を消すため、たいていの小説では、怪我の湯治中ということにされています。時々、根回しのために水面下で走り回っていたという解釈の小説もありますが…。私は、湯治派ですね。
◆閏4月5日(5月26日) 山口次郎(斎藤一)を隊長とする新選組、白河へ出陣。
土方さんが湯治中、斎藤さんが新選組を指揮します。どうしてかな?会津藩士ではないにしても、会津から差し向けられた斎藤さんであることを、土方さんは知っていたのでは?なんて考えてしまいますよね。
また、福良で、白虎隊が馬上の土方歳三に遭遇したという言い伝えがあるが、おそらくここへ来るのは難しい。この本では「新選組の連絡員と遭遇した」のを、「代名詞というべき土方歳三にいつのまにか置き換えられたのでは?」と解釈しています。
※閏月…旧暦では、約3年に1度、1年13ヶ月の年があるんですね。
◆5月30日(7月19日) 沖田総司、江戸で病死。
近藤さんの首は京都で晒され、土方さんは足の怪我、沖田さんは亡くなった。同じ時期に、離れていても、辛さまでも分ち合っている3人ですね…。
◆6月15日(8月3日) 土方歳三、覚王院義観に面会。戦線を離脱して、初めて公の場に姿を現した記録。
覚王院義観は、後の奥羽越列藩同盟の盟主とされる輪王寺宮の執当。面会の内容は、盟主となるのを拒んでいた輪王寺宮の説得に当たった説もあるが、この本では足の傷が快方に向かって正座や歩行が可能になった土方さんが、江戸からの賓客に面会した程度では…と解釈しています。
◆7月1日(8月18日) この頃、土方歳三、戦線に復帰。
◆8月21日(10月6日) 母成峠の戦い、敗戦。
斎藤一は、新選組本体とはぐれ、逃走中の山道で二本松藩士と出会う。
大鳥圭介も山中へ逃げ込んで危機を回避。
この大混乱の中、土方歳三が援兵要請の手紙を会津藩家老宛に送っていることから、この本では、土方はまだ傷が完全に治っておらず、後方の陣営に居て戦況を見守っていたのでは、と解釈しています。
◆8月23日(10月8日) 塩川村へ転戦する新選組を大鳥圭介に託し、土方歳三、庄内へ向かう。
ここで、土方さんと斎藤さんの道は別れてしまいました。
斎藤さんは、最初は仙台へ行くつもりだったようですが、後に大鳥さんに「会津を見捨てるのは武士の道に反する」と言ったとか…。
斎藤一研究の先駆けである赤間倭子さんの小説が好きでした。癒されます。

この本です。この本の土方さん、素朴な好青年である斎藤目線から見た姿が本当にかっこよくて、翻弄されまくりです。一緒に温泉に入った斎藤さんから見た色っぽい土方さんの描写もあって、ちょっとドキッ。オススメです。
この本での斎藤さんは、混乱のうちに会津へ取り残されたカタチになっているんですよね…。
◆8月27日(10月12日) 榎本武揚率いる旧幕府軍の開陽丸、仙台港へ入港。
◆9月3日(10月18日)頃
土方歳三、仙台城での軍議に参加し、榎本武揚より総督就任の推薦を受ける。
奥羽越列藩同盟は、榎本の推薦により土方歳三を総督にしようとしていたが、土方が「生殺与奪の権利を総督の二字に御依頼とならば受けますが、其の辺は如何なものでありませうか」と発言。各藩賛成したなか、二本松藩士の安部井清介が「生殺与奪の権は藩主にあり」と反対したため、ご破算となった。
しかしこの安部井さん、土方さんの美貌を表現させたら一等賞ですよね。
ほんと、なんなんだ、君は!
後の史談会で、「榎本が推薦するので本人をその席へ呼んでみたところ、色は青いほう、漆のような髪を長ごう振り乱してある。ざっといえば一個の美男子と申すべき相貌に覚えました」という名言を残しています。
グッジョブ!(笑)
◆9月4日(10月19日) 斎藤一ら新選組が守備する如来堂が襲撃される。
この如来堂の戦いで会津・新選組壊滅規模の、当初13人の戦死者(総員の半数)が出たとされていたが、後に斎藤一を含め6人の生存が認められている。
よほどの大混乱だったのでしょうか…。
ざっと振り返ってみました。
この本、この調子で詳しく新選組の動きが掴めるのでオススメです。
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